東京高等裁判所 昭和38年(う)1668号 判決
被告人 長瀬好成
〔抄 録〕
所論は、原判決が本件公訴事実は、犯罪の証明がないとして無罪を言渡したのは、事実の認定を誤つたものであるというに在る。
よつて按ずるに、(証拠)
を綜合すると、
戸塚和男(当時二七年)は、昭和三六年五月二五日夜友人の下宿やバーでウイスキーとビールを多量に飲み、酩酊して正常の歩行も困難で思考力も減退した状態の下に翌二六日午前一時過頃、長野県岡谷市上浜五四三六番地の友人田中国弘の下宿の前において引き止める同人の手を振り払い「これから姉のところに帰る」といつて別れ、公訴事実摘記の今井新道を、南より北に向いふらついた足どりで歩き、前記岡谷市小井川七三六三番地先に到り右今井新道の舗装部分の中心線西側中央に頭部を北に、足の部を南にし、顔を西に向け、手足を広げて仰向に横わつているところを同日午前二時八分頃より、同二時四五分頃までの間に、表面は粗であるが鋭角的曲面のない略平坦な人体の幅を上廻る程度の幅の作用面を有する物体により弾力的状態を保有しつつ足の方から頭の方向へ擦過されたため、身体表面に多数の擦過傷を受けるとともに身体内部に肋骨々折、肝臓及び心臓破裂を来し、右心並心嚢破裂及びこれに基く失血のため死亡するに至つた事実を認めることができる。
そして右原審証人野田金次郎の前記証言によれば戸塚和男の前記損傷は同人が寝ている上を自動車が足の方から頭の方へ自動車の左右の車輪の間に同人の身体を挾むようにして通過した場合にも生ずる可能性があるというのであり、又右戸塚和男の身体の内外に存する創傷は、手術創を含む陳旧な損傷を除けばいずれも新鮮な損傷であり、同時に生起されたものとしても何等矛盾するところはないというのである。
次に、(証拠)
を綜合すれば、
被告人は昭和三六年五月一六日頃岡谷市塚原建材所属のダンプカーと接触事故を起したことがあり、この弁償要求のため、同月二五日夜友人富岡哲郎より借りたオースチンA五〇型五八年式小型乗用自動車を運転し、友人宮本清志、栗田多門を同乗させて松本市を出発し、同日午後一〇時から一〇時半頃までの間に岡谷市上浜六〇六〇番地の塚原基晴方を訪れ、翌二六日午前二時二五分頃同人方を辞し、前記今井新道を時速五〇粁乃至六〇粁で南より北に進行し、同日午前二時三〇分頃前記戸塚和男の横わつていた場所を通過したが、その際路上に横わつていた同人を相当接近した距離で発見し、とつさにハンドルを僅かに左に切つたところ、ガクンとシヨツクを感じ、車体が若干左側に傾いたように感じたが直ちにハンドルを右に切りかえし、そのままその場を通過した。右現場通過直後被告人は「やつちやつた、やつちやつた」と口走り、同乗の宮本清志にどうも人をひつかけてしまつたようだが、人を見なかつたか」と尋ね、その後塩尻峠に差しかかる塩嶺病院の手前附近で停車して、マツチの明りで車体下部を点検したところ異常はなかつたが、気になるので元来た方向に二〇〇米程引き返えしかけ、思い直して再び松本市方面に進行し、途中同市出川でガソリンを補給した後、同日午前三時三〇分乃至四〇分頃、同市土井尻町の宮本清志方に到着し、同所で電灯の光で更に車体下部を点検した後同日午前四時乃至五時頃同市今町の実父宅に帰つた事実及び同日午前中、被告人は富岡哲郎に「どうも昨夜人をひいたかもしれない」と話し、同人と共に前記自動車に乗つて東京に帰えるべく、実父宅を出発したが途中長野県内の青木峠附近で停車し二人で車体下部を点検し、同日夕刻東京の当時の自宅に到着し妻静子に「岡谷で、もしかしたら人をひいてしまつたかもしれない」と語つた事実を認めることができる。してみれば被告人は前記自動車を運転し前記場所の道路上に横わつていた戸塚和男の上を南より北へ即ち足の方から頭の方へ通過しシヨツクを感じた事実を推認するに難くない。
ところが(証拠)によれば
右戸塚和男が死体となつて昭和三六年五月二六日午前三時一五分頃発見された時には、右戸塚和男の死体は、前記今井新道の前示の場所に、頭部を北西に、足部を南東に、顔を西に向けて手足を伸し、両手はほぼ水平に広げ、仰向けの姿勢で横わつていて、広げられていた両手間の直線距離は一、五八米同じく両足間の距離は二〇糎、胸部、腹部の厚さ一九、五糎、脛部の厚さ一四糎であつた事実が認められ、一方、
原審の検証調書によれば、
被告人が運転した自動車と同型同年式の小型乗用自動車A五〇型、五八年式オースチン長す二九三五号の底部のアクセルメンバー、マフラー、デフレンシヤルギアーの部分はいずれも地上から一九糎以下の高さしかなく、又右自動車の左右の車輪の間隔は、前後輪とも左右のタイヤの内側から内側まで一、一一米であることが明らかであるから、被告人の運転した前記小型乗用自動車が戸塚和男を左右車輪の間にはさんで戸塚和男の足の方から頭の方に同人の上を通過すれば、右自動車底部の低い部分が戸塚和男の腹部、胸部等を弾力的に圧迫しつつ擦過し同人に前記の如き損傷を与え得ること論をまたない。
ただ前記原審第四回公判調書中の証人小林正已の供述によれば被害者戸塚和男は事故発生前と思われる午前二時八分頃にも両手を広げていたといい、事故発生後の前記昭和三六年五月二九日附実況見分調書及び前記原審証人有賀憲武の証言によれば、戸塚和男が死亡していたとみられる午前二時四五分頃及び実況見分の際にも、被害者は両手を広げて居り、両手先間の直線距離は右実況見分の結果によれば一、五八米あつたというのであるから、左右の車輪の間隔が一、一一米の被告人の運転した自動車で右の如く両手を広げた戸塚和男上を前記のように足の方から頭の方へ通過したとすれば同人の左右の上肢の何れかの部分を車輪で轢過したものと考えられる。
しかるに前記証人野田金次郎の原審における供述によれば、戸塚和男の身体には自動車のタイヤで轢過して生じたと認められる傷創はないというのであるが右轢過の跡がないとの一事のみを以つて、被告人の自動車が戸塚和男の上を前記のように通過したことはないものと断定することはできない。何となれば、原判決も判示するとおり、戸塚和男は酔余寝ていたとはいえ、死亡までの間に無意識のうちに手の位置を変え自動車が身体上を通過する時には、何れかの腕を胸の上等に曲げていて、両腕の上を轢過されることはなかつたが、自動車擦過の衝撃で手が開くこともありえないことではないから、戸塚和男が自動車に擦過される当時右実況見分調書記載の如く両手を広げていたと断定することはできないからである。
しかし飜つて考えるに、被害者戸塚和男の損傷乃至死亡の結果は前記現場を被告人の運転する自動車に先立ち通過した他の自動車により生ぜしめられたもので、被告人が戸塚和男の上を通過しシヨツクを感じたのは、既に死亡していた戸塚和男の上を轢過したのではないかとの疑問が存するので按ずるに、もし被告人の運転する自動車が既に死せる戸塚和男を轢過し、若くは左右の車輪の間に同人を挾むようにして同人の足の方から頭の方へ同人の上を通過したものとすれば、戸塚和男の身体には先行自動車に生ぜしめられた創傷の外に更に被告人の自動車に触れて死後に生じた轢断による若くは圧擦による損傷が存しなければならない筈である。しかるに前記野田金次郎の鑑定書及証人野田金次郎の原審並に当審における証言によれば戸塚和男の身体には前記の如くタイヤで轢過したために生じた損傷はないばかりでなく、同人の身体には、手術創を含む陳旧の損傷の外に外景内景上計五十七群に及ぶ新鮮な損傷があるが、右は何れも生存中に生じたもので死後に生じた損傷はないというのであるから、戸塚和男は被告人の自動車より先に現場を通つた他の自動車により損傷を加えられ同人が死亡して後に被告人の自動車が戸塚和男の身体上を通過したものと言うことはできない。
してみれば、戸塚和男は、道路上に寝ている処を被告人の運転する前記自動車が左右の車輪の間に戸塚の身体を挾むようにして、足の方から頭の方へ通過したことにより傷付けられ死亡するに至らしめられたものと認めなければならない。
そして被告人は警察、検察庁における捜査の段階で戸塚和男の傷害乃至死亡の結果は、被告人が同乗者との雑談に気をとられ、前方注視を怠り、自動車を運転したため、至近距離に至り始めて戸塚和男の寝ている姿に気付き、これを避譲する暇なく同人の上を通過したため引き起したものである旨自白しているのであり、又被告人が警察、検察庁の取調にあたり、何ら脅迫された事実の存しないことは被告人自ら原審公判廷において自認するところである。してみれば、被告人の前記司法警察員並に検察官に対する各供述調書及び前掲各証拠を綜合すれば本件公訴事実は優にこれを認め得るものといわなければならない。しかるに本件公訴事実は証明なしとした原判決は事実の認定を誤つたもので論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。
よつて刑事訴訟法第三九七条第一項に則り原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書に従い当裁判所において左の如く判決をする。
(罪となるべき事実)
被告人は自動車運転の業務に従事するものであるが
第一、昭和三六年五月二六日午前二時半頃小型四輪乗用車(オースチン、A五〇型、五八年式)を運転し、時速約五〇粁乃至六〇粁の速度で長野県岡谷市小井川七三六三番地先の幅員九、二米うち舗装部分の幅員六米の市道通称今井新道上を南方から北方へ向い進行中、当時自車の前照灯を下向にして減光しており、又深夜で附近一帯は暗い状況であつたから、自動車運転者としては絶えず前方を注視し、進路上の安全を確認して進行し、進路上に障害物を発見したときは適切な避譲措置を講ずる等適宜な処置を採り得るよう運転し、以て事故の発生を防止すべき業務上の注意義務があるにも拘らず、漫然同一速度で進行し、而も同乗者との雑談に気をとられて前方の注視の義務を怠り漫然同一速度で進行した過失により、進路前方左側舗装道路上に酔余頭部を北側にして仰向に横わつていた戸塚和男(当時二七歳)を至近距離に接近して初めて発見し、これを避譲するの暇なく、同人を左右の車輪の間に挾んで同人の上を通過したため同人を自車車体の下部(底部)と路面との間に挾圧しつつ擦過し、因つて同人を肋骨骨折心臓並に心嚢破裂及びこれに基く失血により死亡せしめ
第二、右日時場所において前記自動車を運転中、前示の如く戸塚和男を轢過しながら、そのまま運転を継続し、以て直ちに運転を中止して被害者を救護する等法令に定められた必要な措置を講ぜず且事故発生の日時場所等法令に定める事項を直ちに最寄りの警察署の警察官に報告しなかつたものである。
(岩田 飯守 赤塔)